眠い
寝ます。
「ひみこい姫†無双18」(所要時間:48分)
原作:火魅子伝(ゲーム版)、恋姫†無双
袁紹軍はもはや北郷、公孫賛軍を敵に回して勝てるだけの戦力は残っていなかった。
だが包囲されているために逃げることもできず、また逃げるための体力すら残っていなかった。
彼らに残されるのは玉砕か死か。その二択だ。
「……面倒だな。袁はもう二度と立ち直れないだろう。逃がした方が良いのではないか?」
「確かに。俺も賛成だ。降伏を呼びかけよう。精神的にも不安定な今の状態なら、あちらも乗ってくるだろう」
公孫賛軍と北郷軍。その武将達が一同に会しての軍議は非戦の方向で進んでいた。
今回、破れかぶれの博打のような戦を仕掛けた袁紹についていく兵士が今後出てくるとは思えない。
それならば、その袁紹の息の根を止めるために軍に損害を出すのは、両軍ともにせけたかったためだ。
特に公孫賛軍は先の戦闘での被害が甚大だ。
北郷軍の助力がなければ、戦線さえも維持が難しい状況だった。
「そうですね。藪をつつく必要もありません」
孔明もまた、九峪に同意を示す。
軍師二人が案に賛同した時点で、今後の方針は決まったようなものだった。
他の武将も特に異論をはさまない。
「具体的に方法はどうしますか? 外から呼びかけるだけでも十分に成功しそうですけど」
「ああ、それならあちらに鼠を仕込んでるから、それ使おう」
「間者を袁紹軍に放っているということですか?」
「……前の戦いで混戦になった時に、相手の衣装奪って袁紹軍になりすませた奴らを、結構な数潜り込ませておいたんだ。こちらの降伏勧告に合わせて、そいつらが軍を放り出して逃げ去るようにする。それだけで今の袁紹軍なら崩れ落ちるだろう」
こともなげに言う九峪。この男、気絶したり負傷したりしているが、それでも軍師としてやるべきことは欠かしていなかった。
常に一歩先を見て、手を打っている。
「それなら問題なく進みそうですね。呼びかけ役と具体的な台詞はどうしましょう」
「そうだなー。ここにいる武将の中で、一番、潔白そうな奴に言わせた方がいいだろうな」
そう言うと九峪は居並ぶ武将達を見渡した。ぴたりと、ある人物の所で視線が止まる。
目の前の孔明を見れば、やはり同じ人物を見据えていた。
軍師二人から視線を向けられた人物は、少しうろたえた。
「な、何だ。いきなり私を見て」
「――清廉潔白。まさにその言葉がよく似合いそうだ。これなら敵も疑わない」
「――そうですね。愛紗さんなら、適役です」
しかし軍師二人は勝手に頷いてしまった。
「というわけで、関羽殿。敵への降伏勧告をお願いします」
「台詞は私が考えておきますから、後で暗記してください」
「何だとっ、そんなのは朱里や九峪殿のように弁が立つ者が行う方がいいだろう!」
戦い以外はちょっぴり苦手の関羽である。勝ち名乗りをあげるのならばともかく、敵の説得などにはまるで自信がなかった。
嫌がって反論する。しかし、軍師二人はなぜか抜群のチームワークでその言葉を却下した。
「いやいや、分かってないなあ。まず俺。怪我してて貧相だし、華ってやつがない」
「加えて言うなら、九峪さんは袁紹軍を最も追い込んだ武将でもありますから」
「手段問わずにね。だから俺が出て行けば、多分逆効果だ」
「そして私ですけど……、言いたくないので、察してください」
正直、はわわ軍師に敵の説得など無理だった。
どれだけ頑張っても凛々しい子供ぐらいにしか見えないので、多分、敵になめられる。
可愛いは正義、とはこの場合はいかない。
「そういうことで関羽殿頼んだ。見栄えも、正道を重んじる武将としての在り方も、この場面では理想的だ」
少しだけ落ち込んだ孔明をそっとしておくように、九峪は関羽へと話を振った。
「で、では他の者に」
「諦めなって。華雄はまず俺と同じ奇襲部隊を引連れていたからダメ。星はこの前の戦いで敵を殺しすぎたからダメ。姉御も俺らの上司だからやめたほうがいい。張飛殿は、その、少し幼すぎるから除外すべきだし、馬超殿に黄忠殿には悪いが少し格ってやつが足りない。この辺りで売り出し始めたばかりの武将だから、勧告しても重みがないんだよ。で、当然、長い台詞を口にできない呂布殿も無理。そうなると残りは一人だけ」
「……だが、」
「何ならもう一つ選択肢があるんだけどな。北郷殿、神の遣いとしてやってみるか?」
さっと矛先を変えて九峪が北郷に語りかけると、北郷と関羽、両人が慌てた。
「お、俺ですか?」
「うん。格でいうなら問題ない。関羽殿がやりたくないなら、仕方ないだろう」
「……うーん、ちょっと俺、噛んじゃいそうなんですけど。愛紗がやってくれないか?」
九峪に話を振られた北郷は、そのまま更に関羽に話を戻す。
関羽はこうなれば断ることができなくなった。
にやりと九峪が関羽から見えない角度で笑った。が、幸いなことにそれを目にしていたのは華雄だけだった。
その記憶を、そっと胸の中にしまっておく。
(相変わらず、この男は時々黒くなるな。あの時、誘いを断っていたらどうなったものやら)
まさか関羽が主の命令を断れないことを計算して、そのような形を作りだすとは。
こんなところでも悪知恵が全開である。
「……分かった。ご主人さまの言葉もある。その話受けよう」
悔しそうな声で、関羽は頷いた。
そして行われた降伏勧告であるが無事に成功した。
勧告内容は以下のとおりである。
即座に袁へと引き返すこと。武器は放置していくこと。袁紹をこちらへと差し出すこと。
これらの条件を守れば、北郷、公孫賛の連合軍は追撃をしない。
その代り、これらのことを守れなければ、最後の一兵になるまで駆逐しつくす。
威風堂々とした態度で、袁紹軍へと関羽が呼びかける姿は、絶大な効果を発揮した。
言葉に圧倒されて、絶望していた兵士の多くが我先にと逃げ出していく。
袁紹軍の崩壊速度の速さたるや、九峪が仕込んでいた間者が行動に移る暇も与えられなかったほどである。
一度始まった、軍の崩壊は完璧に袁紹軍が形を失ってしまうまで続くのだった。
ただその結果には弊害があり、予想以上の速さで袁紹軍が崩壊してしまったため混乱が生じ、袁紹がどこにいるのかが分からなくなってしまったのである。
生まれた混乱の中。驚異的な悪運を発揮して、袁紹はどこかへと姿を消した。
それが今回の作戦の、唯一といえる失敗だろうか。
ただし今さら袁に戻ったとしても袁紹に居場所などない。
こうなると首を取らずとも、結果は変わりなかったために、そのまま袁紹の捜索は二週間ほどで放置されることとなったのだ。
袁紹の行方は、そういうわけで誰にも分からない。
もしかしたら今頃、どこか遠い場所で顔良や文醜と仲良くやっているのかもしれないが、それを積極的に探ろうとする者などいないのだ。
大国として栄えた袁。その終末は、誰もが時の移り変わりを感じずにはいられない結果となった。
「……なんか、やっぱり今の時代ってきついよなー」
「そりゃあまあ。食うか食われるかってやつですからね」
袁との戦いが完全に終結し、本営に戻った九峪と公孫賛は軽く酒を酌み交わしていた。
先の戦場での約束である。九峪はもう半分忘れていたが、公孫賛が覚えていた。
「もし自分が負けた側だったらって思うと、いつもぞっとする。九峪はそんなことないか?」
「そりゃありますよ。人間死ぬのはいつだって怖いですから」
「だよなあ。なのに皆、なんで戦争してまで他国を落とそうとするんだか」
ぶすっとした表情で、公孫賛が呟く。
「はは。確かに。死ぬ思いした代償が、他の国を攻め落とすことで得られるかっつったら疑問だ」
俺も侵略するために戦争吹っ掛けたことはないから、わからないです。そう呟いて九峪は蛇渇のことを思い出した。
九洲を蹂躙しようとしていた、あの左道士が何を考えていたのか、それは今でも分からなかった。
分かるのは、征服者を倒しても、喜びなど胸に満ちないということだけだ。
後味の悪さしかない。
「きっと世の中、馬鹿が多いんですよ。ほんとに」
「だよなー。平和が一番だよなー」
「そうそう。俺も早く楽して暮らせる生活に戻りたいですし」
「だよなー」
気がつけば、公孫賛はかなり酔っ払っていた。弱いわけではないのだから、純粋に飲みすぎたのだろう。
「何本空けたんですか?」
「まだまだだぜー」
「俺の指は今、何本でしょう」
「三、だな」
「残念。零です。惜しくも何ともありません」
そこまで言ったところで、公孫賛は軟体動物のように、ぐでーっと机に倒れ込んだ。酒をこぼさないように、慌てて九峪は瓶と杯を取り上げた。
公孫賛はうるんだ瞳で、ほうと息を吐いた。エロい動作であった。
九峪はなぜか赤く火照った公孫賛のうなじを見た。フェティズムではない、はずだ。
「あ、やば、もうダメだ。眠い」
「はいはい寝るなら帰ってお休みしましょうね、姉御」
「嫌だ。歩きたくない。ここでもう寝る」
「良い年した女が、そんなこと若い男の前で言うもんじゃないですよ」
この状況にて、恐るべき特殊能力フラグブレイクを発動させる九峪。
この男、既に神の領域に到達しかねない。それぐらいに完璧なスルーであった。伊達に九洲を完全スルーしていない。
そもそも公孫賛がぐでんぐでんになるまで酔っ払っている理由に、普段は賢いこの男は何故気づかないのか。
もしかしたらフラグを立ててへし折ることを趣味とする、サディスティックな男なのかもしれない。そんな疑惑すら浮かんだ。
「別に、そんなんいいだろ。九峪なら、大丈夫だし」
「ほほー、怪我してる俺なら酔っ払っていても撃退できると。大した自信だ」
「いや、そっちの意味じゃなくて」
「なら、そもそも男として見てないと? まあ、その気持ち分からんでもないですけどね」
永遠に九峪のターン。
公孫賛は激しい精神的苦痛を味わった。衝動的に酒に走る。
そしてさらに酔っ払う。泥沼であった。
だがこのままでは埒が明かない。公孫賛は必殺技ゲージを貯めた。
残った理性で必死になって、起死回生の一打を放とうとする。
「あのな、九峪、真面目な話なんだ」
「机に突っ伏したままそんなこと言われても」
「それでも真面目な話なんだ。信じろ」
「はあ、そこまで言うなら一先ず信じますけど。それで何ですか」
尋ねる九峪に、公孫賛は深呼吸をすることで応えた。
どこかで見たような光景が繰り広げられる。
何か言うようで止めて、やっぱり言おうとしてためらう。だが最後に頑張って言おうとして、
「――はーっはっはっは! 美と正義の使者、華蝶仮面、推参!」
どこからともなく努力はぶち壊された。
「くっ、お前は最近城下を賑わしている華蝶仮面!」
「ははは、取り込み中のようだったな、私はこれで失礼する!」
「あ、ちょっと待てお前ーーっ!」
突然現れて、すぐさま消え去っていくマスクメン。その姿に公孫賛は歯噛みすることしかできなかった。
正体も分からぬ相手に、激しい怒りを覚える。
目の前の九峪を見れば、ひどく呆れたような顔をしていた。
「何だったんですかね、あれ」
「私が知るか!」
九峪の問いかけに、公孫賛は乱暴に答えた。もう機会は逸してしまっていたのだった。