ネタであって宗教的意図は無し
※キリスト教徒の方は今日の日記を読んではいけません※
マルコの福音書 15章34節を読んでみると恐ろしい事が書いてある。
恐らく今まで誰も気付いた人間はいないでしょうから私が第一発見者であろうとは思います。問題なのは以下の文章、
「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか」
これは知っている人なら知っているでしょうけど、十字架に磔にされたイエス・キリストが、罪のない者が罪ある者のように見捨てられることの痛み、そして罪人が罪のために神に捨てられることがどんなに恐るべきことかを伝えるために、その身代わりとして叫んだ台詞と言われています。
私は仏教徒なので詳しくは無いんですけど、それなりに重要なところではないでしょうか。多分そうだと思います。
で、まあそれはどうでもよくて、このままだと別に普通の聖書っぽい言葉ですので違和感を感じる事はないかと思います。しかし、この部分を日本語ではなくヘブライ語に変えてみると、
「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」
という感じになります。なんか「コギト・エルゴ・スム」みたいですね。あるいは「アドナイ・メレク・ナーメン」とかに似てるとか。まあ、その程度の印象しか受けないでしょう。
けれどここでヘブライ語ではなく原文どおりのアラム語に変えてみると、
「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ」
に、なります。
ちょっとオチが解ってしまったという人は黙っておいて、これだと解りにくいので更に変換します。すると、
「えろい、えろい、ラマ、サバ九峪」
に、なりました。
というわけで九割がた答えが出てしまいましたけど、結論を記すことにします。
―――イエスキリストも九峪のスケベっぷりには一目置いていたんだよ!
ΩΩΩ<な、なんだってー!?
いやあ珠洲にスケベと言われるのも九峪の生まれもっての天命だったというわけですね。それじゃあ、あの青少年的エロっぷりも仕方が無いことなのか。というか九峪君は聖書に名を残すほどのスケベだったらしいですよ日魅子さん?
……
…………
……すいません忘年会行ってくるので苦情は一切受け付けられませんというか何というか、相変わらず私は頭が悪いなと思ったそんな一日でした。呼吸していてごめんなさい。酸素を消費してすいません。地球を温暖化させた事を謝罪します。